六道輪廻の「修羅」とは思考、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の次の段階であるが、未成熟の思考は、極端に理想を求めたり、他人の比較により苦悩する。
比較とは、判断的思考であり、優劣を分ける。その優劣の戦いこそが修羅の地獄なのだ。
ほへと数秘論において数秘7と8のペアに相当、思考、思想、宗教観、善悪や優劣、真理、正義などがキーワード。しかし考えすぎる彼らを、小難しく、邪魔くさいと感じる人も多いかも知れない。
思考には、5つの方向がある、発想、判断、記憶、決断、応用。
発想は意識の上昇で、南で火。判断は意識の下降で、西で金。記憶は過去で南西で土。決断は未来で、東で木、応用は無形、北で水。
重要なのが、発想力であり、人を幸せにし、逆に判断は、人を不幸にする。
文明が、人の知性の発想で生まれたら幸せだし、人の知性の判断で生まれれば、不幸である。
修羅はどこか、現実の血なまぐさい戦いと思いがちだが、実は心の中の争いであり、思考の方向性の争いでもある。
六道輪廻の修羅は、ほへと数秘論におけるエゴ適応レンジ4番目の「智」の事である。
ただし、「智」とは、答えではない。智は、気付きや発想であり、思考の判断は答えである。
故に答えとは次元が低いのであり、答えのない気付きや発想が智となる。
答えには考えるアルゴリズムや時間性があるが、潜在意識の智にはアルゴリズムも時間性もない。直感ともいえる理由である。
数秘7の本質は、心の事から智を生み出すことであり、「気づき」である。
数秘8は、その「気づき」である潜在意識の智を心の次元で表現することにある。
平たく言えば、理想を発見することと、理想を実現すること。
数秘7が心の事から智を生み、数秘8が心の次元で、智を表現しようとする。
数秘3が現実の物から事を生み、数秘4が現実次元で、事を表現するのと 相似である。
野球界では、イチローが数秘7で、理想を生み出し、大谷翔平が数秘8で理想を実現するといった感じ。
修羅は、数秘7,8だけでなく、他の数秘でも、誰でも、自分を誰かと比較すれば修羅に落ちる。
比較して、自分が優れていれば安心し、劣れば不安になる。やがて、差別意識を生み出したり、
歪んだ正義感からかあらゆるものを否定したり、、
現代の競争社会は、比較し、勝者こそが価値があると教わってきた、
実際は、勝てど、地獄が消えることはない。
とはいえ、敗者が極端な理想を求めるのも地獄だ。
比較ではなく、気づき(智)を起こすこと。発想だ。
智は、心の経験や感情(事)から生まれる。逆に言えば、心の事、あらゆる出来事も経験も、喜怒哀楽も、気付きである「智」を生み出すために存在する。
事を生み出すために、この世界、物が存在するのと相似のように。
数秘7,8の陥りやすい問題と改善
鬼は外、福は内。そういう判断は避けること。
「智」ではなく、善悪の「答」に囚われやすい傾向は世界を狭める。
そして、理想を追い求めすぎるのも、修羅であり、エゴなのだ。
数秘7,8は常に思考に大量のエネルギーが消費されるので、思考停止は絶対に必要であり、
考えなくなれば、何がやりたいかが見えてくるだろう。
何より、エネルギーを現実の行動に使わないと、経験値が増えず、気づきが起こらない。
許す、手放す。
苦労した幼少期(事)は、これを気づかせる(智)ためにあった。
気付いたら、否定していた幼少期も、受け入れ、手放していくこと。
いつまでも、あの頃のせいで、と恨みを持ち続けないこと。
手放すとは、心を放つこと、それは、許すこと、認めること。否定をしないこと。
次の段階へ
数秘7,8の役目
私=心ならば、生まれて死ぬまで、心のまま楽しく生きれば良いだろう。
しかし、仏教を含め、宗教は、厳しく心を、欲望を抑圧し、コントロールしろという。
死後天国に行くためなど方便はあるが、
私=心ではない。もっと深い部分に、現実に左右されない確固たる自分=魂がいる、それを生きる=運命。
数秘7と8は、気付いている。
人の本質は、心よりもっと上にあるはずだと、
物質的な豊かさも、心の豊かさも、、
その上の精神性の豊かさこそが、真理と。
特に日本では、長い時代文化が継続され、異文化にも書き換えられず、
現代の即物的な豊かさを至上と考えず、自然を敬い、また自然を学び、今の最高も最高と考えず、常に進歩する職人魂、そんな無駄な、理想を牽引してきたのが、数秘7,8だろうと思う。
しかし、智ではなく、判断による「答え」ばかりに頭を使っていれば、世界は修羅界になる。
今世界は大きく変わろうとしている。
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